周辺施設のご案内

佐賀市歴史民俗館の周辺には、多くの歴史的建造物が残っています。

これらはかつての柳町界隈の景観を今に伝える財産として、大切に守られています。

旧馬場家

幕末から明治にかけて、馬場家の祖先にあたり鍋島藩の藩医を務めた漢方医の高宗弘堂が居住し、この家で開業したと伝わっています。

18世紀末から19世紀初期の建築と推定され、表の腕木門も同時期のものと考えられます。現在、佐賀県遺産に指定されています。

八坂神社

佐賀市歴史民俗館・旧古賀銀行の南側に八坂神社があります。
鍋島勝茂公が、江戸時代最初期、居城の鬼門にあたる場所に国家泰平を祈願して、京都の八坂神社から勧請したと伝えられます。

旧中村家

明治18年(1885年)に建てられた旧中村家は、旧古賀銀行の斜め向い、八坂神社の東隣に北を正面として建ち、古賀銀行が開業した際には、社屋として活用されたと云われます。
その後、明治39年に古賀銀行が新築移転した後は、中村家の住居として利用されてきました。一部は、改築されていますがほぼ明治時代からの姿を残しており、柳町地区の歴史的景観を形成する貴重な建物です。

森永煙草製造所跡

佐賀市・柳町界隈には煙草製造所が数軒ありました。その代表とされるのが、「森永煙草製造所」であり、ここで「富士の煙」が製造されました。
「富士の煙」は刻み煙草で、原料は鹿児島から有明海を渡り佐賀江を通って運ばれました。佐賀煙草が本格的になったのは江戸時代からですが、日露戦争のため明治37年に専売法が公布され民営の煙草製造は官営に移行し、「富士の煙」も製造中止となりました。

旧久富家住宅

旧久富家住宅は、白山町で履物商を営んでいた久富亀一が、大正10年にこの柳町に移転し、「履物問屋 久富商店」として建てたものです。
ここでは、奥の建物裏に作業所を造り下駄の製造も行なわれました。後に、大分県日田市にも下駄の製造所を設け、朝鮮半島へ販路を広げるなど事業を拡大し、「履物問屋 久富商店」は県下でも有数の大きな履物問屋でした。
土間奥には「履物問屋」と右から左に横書きされた木製の看板が今も掲げられ、当時の面影を残しています。 現在、佐賀県遺産にも指定されています。

野中家

野中家は、「野中烏犀圓」の製造販売を家業とする老舗で、初代・源兵衛氏が寛永3年(1626)に創業しました。
現存する建築物は、寛政8年(1796)に生薬「烏犀圓」の製造販売を藩から許された折に建てられました。